マラキ書1:2~「わたしはあなたがたを愛している。―主は言われる―しかし、あなたがたは言う。『どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか』と。」神の愛の宣言に対し、イスラエルの民は『どのように』という反問の言葉を繰り返します。当時、凶作と貧困が厳しくなる中で、民の宗教的冷淡と道徳的退廃はそのまま礼拝姿勢にも如実に現れました。「自分の群れのうちに雄がいて、これを献げると誓いながら、損傷のあるものを主に献げるような、ずるい者は呪われる。わたしは大いなる王であり、―万軍の主は言われる―わたしの名は諸国の民の間で恐れられているからだ。」状況は違いますが、昨今のコロナの影響の中で、インターネットでも礼拝を献げられることに多くの利点があるのは確かですが、神を恐れ敬う思いも忘れないように気をつけたいものです。