『神はその人が耐えることのできないような苦しみを課すはずがないという、いかにも敬虔そうな物言いは残念ながら現実とは矛盾している…』確かに、生まれながらに苦しみを背負う子どもや、人間として成熟するチャンスもないまま命を落とす方々がいることを思えば、苦しみには何らかの教育的意味があるというのは受け入れ難い。ならば、なぜ神は最初から人間をその最終目標の状態に創造しなかったのか…という疑問も浮かんできます。これらの問いは『神義論』というキリスト教の課題でもありますが、明日の『旧約聖書を学ぶ会』でどうしても避けて通ることはできないだろうと思って考えをまとめています。有限なる人間がいくら考えたところで無限なる神の摂理をすべて理解することなど到底無理な話しですが、それでも心と思いと知を尽くして御心に迫りたいと思います。