1月第二主日、礼拝ではⅠヨハネ1:1~4から「祝福が満ち溢れるために」というテーマでメッセージを聴きました。老年の使徒ヨハネはその手紙の冒頭で、自分が実際に目で見て、耳で聞いて、手でさわった方について、そのリアリティを熱く語り出しました。この方は永遠のいのちそのものであって、私たちの前に現れてくださったのだと繰り返し記すのは、当時すでにキリストに対する謝った考え方が教会に入りこもうとしていたことを意味しています。いつの時代も、私たちが正しい教理に立ち、喜びに溢れる、正しい信仰生活を送るには、常に聖書の教えに耳を傾けていかなくてはなりません。「これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ち溢れるためです。」今日は聖餐式、役員就任式もありました。今年もみことばに根差した教会形成を覚えて歩んで参りたいと思います。