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「…素朴な疑問です。どうして生まれつき罪を背負わなくちゃいけないのか。そんなのおかしい。」人間はみな、原罪(original sin)を抱えて生まれてくるというキリスト教の教えに反発される方も多いようです。キリスト教は「性悪説」に立つと一般的には言われていますが、私自身は「性善説」であり「性悪説」であるという考えです。「神は人をご自身のかたちとして創造された。」つまり本来人間は良いものとして造られたのですが、最初の人間に罪が入ったことによって、すべての人間が原罪を持つようになってしまったのです。生まれたばかりの赤ちゃんも成長(自我の芽生え)とともに、その原罪の影響が現れます。水が低きに流れるように、人も易きに流れるのに努力は要りません。でも、神を信じ、信仰に生きるとは、人間本来の姿を回復していくことを意味するのです。