9月第三週の祈祷会はイザヤ書8章~、預言者イザヤはアッシリヤ軍の侵入によって国家存亡の危機が近づいていることをイスラエルの民に宣べ伝えます。しかし、人々は、「神が私たちとともにおられる…。万軍の主を聖なるものとせよ」というイザヤのことばに耳を傾けず、悔い改めには至りません。むしろ、神はなぜ試練が迫っていることを知りながら、それを未然に止めてくださらないのか。ある方の「神なら何をしても許されるのでしょうか」という問いかけも心に残りました。大震災、大洪水、不条理な事件、戦争、紛争…神がいるならなぜこれらの悲しい事件が起こるのか。…神の御心は限りある人間にすべて理解することはできません。でも、それについて考える、聖書から教えられる、神を知る…それが生かされている私たちにとってとても大事なことなのだと思います。