今週の水曜祈祷会はイザヤ書1章~、アモツの子イザヤが見た幻は背信のイスラエル人に対する神の厳しい裁きの言葉。彼らはイスラエルの聖なる方を侮り、背を向けて離れ去り、さらに、彼らの捧げる形だけの礼拝を、主は喜ばれないばかりか、それを「憎む」「疲れ果てた」とまで告げられました。もはやここまで言われたら…と思うようなところですが、主はご自分の民をそのまま見捨てることはありませんでした。「さぁ、来たれ。論じ合おう。たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。」厳しい裁きの言葉は悔い改めを迫る愛の表われでした。見捨てられても仕方のない者を、主は忍耐深く呼びかけて、ご自身のもとに帰ってくるのを待っていてくださる。わが子を思う、親の愛。…子どもの頃、親に厳しく叱られたことを思い出しました。