祈祷会は出エジプト記28:1-14から。イスラエルの民はエジプトの奴隷から救い出され、シナイ山で十戒を授与された後、幕屋建設と祭司制度について命じられました。「幕屋」は、荒野を進むイスラエルの民の真ん中に神がともにおられることを表わすものであり、また「祭司」は、神と人との間の仲保者、とりなしの祈りをささげる者でした。ここから特に、私たちの心の中にも神がともにおられること、また私たち一人一人に「祭司」としての役割があることを心に覚えました。昔も今も、神の民に求められているのは、神のご命令に全く従うことです。それでもどうしても古い自我が頭をもたげてくるわけですが…大祭司であるイエスのとりなしに支えられて歩んでいきたいものです。「キリストはいつも生きておられ、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」祈祷会の後は、若いママのお手伝いに子守役をかって出ましたが、いつの間にか椅子に座って…私も一緒に寝てました。