最後の第三礼拝が終わり、2017年の教会の活動が終わりました。今年は主の日で始まり、主の日で終わるという時宜にかなった一年でした。宗教改革500年の節目の年、新改訳聖書2017年出版、何より新会堂取得という忘れられない年でもありました。恵みに溢れる一年を感謝し、新しい2018年を待ち望みたいと思います。
「神のご計画に生きる」メッセージ要約(マタイ2:13-23)
『そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して【彼はナザレ人と呼ばれる】と語られたことが成就するためであった。』
東方の博士たちの訪問は、ヨセフとマリヤにとって大きな喜びだったでしょう。でも、その喜びも長くは続かず、彼らには厳しい現実が待ち受けていました。それは、全世界の救い主が危険にさらされることでもあったのです。そうした中でも、神の計画は一つ一つ成就し、人間にはそれを阻止することはできないことを聖書は告げています。ここから「神のご計画に生きる」というテーマで三つのことを心に留めたいと思います。
一つは神は我らの行く道を示されることです。「立って、幼子とその母を、エジプトに逃げなさい。」それは、あまりにも唐突な神の知らせでした。これから家族三人で落ち着いた暮らしが始められると思っていたのに、なぜエジプトに…と思ったことでしょう。でも、ヨセフはそこでつぶやかず、直ちに従っていきました。もし躊躇していたり、朝まで待っていたら、手遅れになっていたかもしれません。この一瞬の差がメシヤを危機から救い、ヘロデの計画を見事失敗に終わらせたのです。同じように、神の計画には何事にも定められた時があります。神のことばは、「きょう」従ってこそ価値があるのです。
二つ目は神の計画はすべて知り得ないことです。博士たちに騙されたことが分かると、ヘロデの怒りはピークに達し、まことに残忍な事件を引き起こしていきました。ここを読む度に、なぜこんな痛ましい事件が起きてしまったのかと思わされます。神はなぜ博士たちをエルサレムへ導いたのか、なぜヘロデの心を変えられなかったのか…と疑問がわいてくるかもしれません。でも、そうした疑問に対する答えはありません。ただ一つ確かなのは、限りある人間に永遠なる神の御業を全て見極めることはできないということです。
三つ目は神の御旨だけが必ず成就することです。神は再三ヨセフの夢に現れて、イスラエルに帰ること、ナザレの町に行くことを命じられました。聖書は、そうした一つ一つの出来事が偶然によるものではなく、すべて神の御旨であることを表しているのです。同じように、私たちも予期せぬ試練を通らされることがあるかもしれません。でも、私たちを愛する神の御旨は必ず成就するのです。その事に信頼して、神の計画にゆだねて、御旨にかなった歩みをしていこうではありませんか。詩篇37:5