今年もアドベントを迎え、一本目のローソクに火が灯りました。教会の暦では今日が一年の始まりともなるので、メッセージではあらためて礼拝の大切さを学びました。「彼は安息日ごとに、絶えずこれを主の前に、整えておかなければならない。」一日の終わり…夕拝の後は心許せる青年たちと語り合う至福の時間です。
「日ごとの礼拝」(レビ記24:1-9)メッセージ要約
『あなたはイスラエル人に命じて、ともしびを絶えずともしておくために、燈火用の質の良い純粋なオリーブ油を持って来させよ。』
日本に来た最初の宣教師フランシスコ・ザビエルは、まだ見ぬジパングに憧れと敬意を抱き、希望に燃えて鹿児島に上陸しました。でも、いざ来てみると、抱いていたイメージとはかけ離れた現実がありました。それでも彼はそんな日本を心から愛し、仕え、多くの人を信仰へと導いたのです。今日12月3日は、そんな彼が46歳で天に召された日でした。
レビ記には、エジプトから脱出したイスラエル人が聖なる主の民として生きるための指針が記されています。その中で、安息日にはいっさいの労働を休み、聖なる会合を開き、定期的に主の定めの祭りをささげることが命じられていました。それを踏まえて、神が続けて命じられたのは、日ごとの礼拝のあり方です。主が「絶えず…」と命じられた七枝の燭台と十二の輪型のパンには、形式的なことだけでなく、象徴的な意味がありました。そこから今日の私たちが礼拝をささげる上でも大切な3つのことを心に留めましょう。
一つは、自分のベストをささげる礼拝です。神はまず燭台の灯火を絶えず灯しておくために、イスラエルの民に燈火用の質の良いオリーブ油をささげるように命じられました。それは最上級のものを意味しました。つまり、神はささげる者の心をご覧になることをお示しになったのです。二つ目は、霊的な祝福にあずかる礼拝です。神は次に、祭司たちに夕方から朝まで絶えず灯火を整えておくために油を絶やさないことを命じられました。七枝の燭台は、いのちの光を世に与えるイスラエルを象徴していました。灯火は絶えず油を注がれなければ燃えることができません。同様に、私たちも礼拝ごとに、霊的祝福を補給し続ければ燃え尽きることはないことを示されたのです。三つ目は永遠の契約を確信する礼拝です。十二の輪型のパンは、イスラエルの十部族とともに、全人類のためにいのちのパンとなられるキリストご自身を象徴していました。そして、神はそれを安息日ごとに新しいパンに置き換えるように命じ、それが永遠の契約であることを示されたのです。イエスさまも「わたしは命のパンです」と仰って、誰でもこのパンを食べる者は永遠に生きると約束されました。今日はこの後、聖餐式の恵みにもあずかります。アドベント第1週、私たちも日ごとにこの方を心からほめ讃える礼拝をささげて行こうではありませんか。