今日はまた一段と寒い一日となりました。これから段々と寒さも増してくるのでしょう。教会外の看板を照らすライトをもう少し明るくした方がいいというのでスポットライトを一つ追加しました。「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」アドベント・クリスマスももう少しですね。
「祈りの力」(ヤコブ5:13-20)メッセージ要約
『信仰による祈りは、病む人を回復させます。…義人の祈りは働くと、大きな力があります。』
早いもので、今年もあと40日ほどになってきましたが、年末になるとよく耳するのが「交響曲第九番」です。この曲の「第四楽章・歓喜の歌」は、作曲者のベートーヴェンが完全に聴覚を失ってから完成しました。まさに苦難の中から叫び求めた「喜び」を、神への信仰のうちに見出し、力強く音楽に表現した曲と言えるのではないでしょうか。
逆境の時も、順境の時も、どんな境遇の中にあっても、全能なる神を信頼して祈り求める…それこそクリスチャンとそうでない人を分けるしるしです。神は絶えず、私たちを祈りの座に招いておられ、だれの祈りも、どんな祈りにも耳を傾け、応えてくださる方です。それが私たちクリスチャンの確信です。ヤコブもまたこの手紙の最後に、クリスチャンにとっての最高の特権である「祈り」について記しました。祈りは、苦しみのどん底から私たちを引き上げる神の力であり、高慢の罪から私たちをへりくだらせる神の守りです。そんな「祈り」について、ヤコブの手紙の最後のメッセージに聞きましょう。
一つは、どんな時にも神に向かって祈るということです。苦難の中にいる人は、ともすると自分の悲運を嘆いたり、人に訴えたりするかもしれません。また、喜んでいる人も、あたかもそれを自分で成し遂げたかのような錯覚に陥るかもしれません。だからこそヤコブは、逆境の中で苦しんでいる時も、順境の中で喜んでいる時も、いつも神を第一として、神に向かって祈り賛美することを勧めるのです(Ⅰテサロニケ5:16-18)。二つ目は、信仰による祈りは力があることです。ユダヤ人は病気になると、医者に行くより、まず教会の指導者たちのところに行って、オリーブ油を塗って祈ってもらったようです。でも、何より大事なのは、長老たちやオリーブ油よりも、主の御名によって祈る祈りに力があるということです。それは、エリヤの祈りからもわかるように、自然界をも動かすほどの大きな神の御業となるのです。三つ目は、神の贖いの御業に参与することです。ヤコブの時代にも、キリストの救いにあずかってから、教会から離れてしまう人もいたようです。そこには、大きな痛みも悲しみもあったでしょう。でも、もしそういう方々を迷いの道から引き戻せるなら、魂を救い、多くの罪を覆いことになるというのです。もちろんそれは、神の恵みの結果であって、人間の業ではありません。今もなお…そうした一人一人を探しておられるイエスさまの働きに、私たちも祈り心をもって参与していくことが大切なのです。その時、私たちはあらためて「祈りの力」の偉大さを知っていくのです。