成熟したキリスト者とは

キッズ&ファミリーフェスティバルvol.8がありました。雨の中でしたが、300名を越す方が来場されました。また、日曜日はオープンチャーチの準備。一人一人が心を込めて皆さまをお迎えします。

 

「成熟したキリスト者とは」(ヤコブ3:1-18)メッセージ要約

義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。

 「口は禍のもと」政治家や有名人が失言や暴言によって責任をとらされるという話しをよく耳にしますが、私たちも不用意な言葉で、相手を傷つけたり、関係を悪くしてしまうことがあります。それは、いつの時代も共通する人間の本質的な問題です。ヤコブは「言葉で失敗しない人がいたら、その人は…完全な人です。」と記します。「完全な人」とは、完全無欠の人格者というより、大人の成熟したキリスト者をさす言葉です。どうすればそんな人になれるのか…。聖書から三つのことを心に留めましょう。

 まず第一は、言葉で失敗しない人はいないことです。ヤコブは、「教師」または、自称「教師」を名乗る者たちに向かって、その言葉の持つ責任の重さを教えています。さらに教師だけでなく、すべての人に共通することとして、言葉で失敗をしない人がいないことを断言します。箴言にも「すべて利口な者は知識によって行動し、愚か者は自分の愚かさを言い広める。」とあります。私たちもまず、一度口に出した言葉は自分の手に負えなくなること、取り返せなくなることをよくわきまえておきたいものです。二つ目は、舌を制御するためには心を変えることです。ヤコブはここで、馬や船の譬えを用いて、「舌」の持つ影響の大きさを語っています。その上で、その舌を自分で制御することはだれにもできないと断言しています。イエスさまも、「心に満ちていることを口が話すのです。」と言われました。「言」という字は(中国おける)「口から出てくる心」という意味を持つそうです。表面的に言葉だけを整えるのではなく、根本的に自分の心の中を神への賛美と感謝でいっぱいにしましょう。三つ目は、神からの知恵をいただいて行動することです。ヤコブは、イエスさまのような柔和で、神に喜ばれる生き方をしなさいと語ります。それには、上(神)からの知恵を求めなければなりません。そして、観念的な思いで終わるのではなく、実際的な結果として実を結んでいくことです。もちろん信仰生活においては、種蒔いて実らず、水蒔いて育たず…と感じることもあるでしょう。でも、神はそのように生きるキリスト者を、成熟したキリスト者となるまで導かれ、さらにその人を用いて思いも寄らない豊かな「実」を結ばせてくださるのです。私たちも、あきらめずに一歩ずつ、成熟したキリスト者を目指して歩んでいこうではありませんか。箴言4:23