生ける水の泉

今日は16年間お世話になった西小路2-7-22MKM友ビルでの最後の礼拝でした。用意した椅子はほぼ満席になり、高らかに賛美が捧げられました。この場所でたくさんの出会いがあり、たくさんの主の御業を見せていただきました。家主さん、地域の皆さま、本当にお世話になりました。主の祝福を心からお祈り致します。

 

『生ける水の泉』(メッセージ要約)ヨハネ7:37-39

だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が入っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。

 今日は箕面市民が楽しみにしている「箕面祭り」のパレードがありました。様々な工夫を凝らしたダンスやブラスバンドがメイン通りをパレードするのは圧巻です。今年も大勢の観客で沿道は埋め尽くされ、非常な盛り上がりを見せていました。

 さて、今日のメッセージはユダヤ人にとっての三大祭りの一つ「仮庵の祭り」が舞台です。かつてイスラエルの民がエジプトを脱出し、荒野を旅している中で水に渇き、神がモーセを通して岩から水を出したことを記念するもの。その祭りが最も盛り上がりを見せる時、イエスさまは立ち上がって大声で叫びました。「だれでも渇いているなら…」祭りの賑わいとは逆行するような言葉に、人々は目を丸くしたことでしょう。でも、それこそ私たち人間の本質をつく、イエスさまの招きと約束のメッセージだったのです。

 人はみな、何気ない生活を送る中でも心の渇きを持っているのではないでしょうか。その渇きを癒すために、次々に夢中になれるものを探したり、あるいは一時しのぎにお酒やギャンブルで紛らわそうとしたりすることもあるでしょう。でも、それはあくまで一時的なもので、醒めてしまえばさらに渇きを増すことになります。人の心には衣食住では決して満たされない飢え渇きがあって、イエスさまはそうした人間の現実に向かって叫ばれたのです。そして、イエスさまはそういう人はだれでもご自身のもとに来て飲むように招かれました。それは、イエスさまを罪からの救い主であると信じるということです。そうすえば、その人の心の奥底から生ける水が溢れ出て、溢れ出た恵みは隣人の心まで潤していくのです(イザヤ58:11)。