罪人を憐まれる主

今日は午後から教会総会があり、その後は新会堂建設のための祈り会がありました。みんなで新会堂に向けての思いを語り合い、ホワイトボードに図面を書き合いながら…とにかく主の御心にかなう会堂が建つように互いに祈り合いました。まだまだ様々な必要がありますが、憐れんでくださる主を信じて進んでいきたいと思います。

 

『罪人を憐れむ主』(創世記4:1-15)メッセージ要約

そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。

 私たちが自分ではどうすることもできない感情の一つに「妬み」があります。何か祝福されている人を見ると、つい羨ましくなってしまう…。いつの時代も、こうした妬みの感情があらゆる罪のもとになって様々な悲劇を生み出しているのではないでしょうか。

 創世記4章にはエデンの園を追い出されたアダムとエバに、カインとアベルという兄弟が与えられた記事が出てきます。家族ができた喜びもつかの間で…この兄弟間で人類最初の殺人が起きてしまうのです。原因は兄の「妬み」でした。この記事から3つのことを心に留めたいと思います。まず一つは、主は私たちのささげる心を見ておられることです。アベルとカインの兄弟は主の前に感謝の表われとしてささげ物をしました。でも、主は弟アベルのささげ物には目を留められましたが、兄カインのささげ物には目を留められませんでした。それは、主が「ささげ物」よりも先に、「ささげる人」自身に目を留められたからです(へブル11:4)。二つ目は主は私たちに悔い改めを語っておられることです。憤って顔を伏せるカインに、主は声をかけられ悔い改めを迫ります。でも、彼は結局、弟アベルを呼び出して殺してしまいました。妬みが憤りとなり、ついに悲劇を生み出してしまったのです。三つ目は主はそんな者をも憐れんで待っておられることです。主は殺人を犯したカインにさえ悔い改めを迫ります。こうしてさすらい人となったカインでしたが…主はそんな彼をも見捨てないで神のもとに帰ってくる機会を残されたのです。

 私たちも生きている限り、絶えず葛藤の連続で罪の誘惑がなくなることはないでしょう。主はそんな私たちに対しても罪の誘惑を取り除かれるのではなく、信仰によって克服することを願われるのです。主はそのために聖霊を送ってくださり、人生の勝利をもたらして約束の地に導いてくださいます。罪の誘惑に溢れる時代ですが、私たちも主に期待して、信仰を持って歩んで行こうではありませんか(Ⅰヨハネ3:12)。