今年も桜の満開の時期に受難週を迎えました。「一粒の種が地に落ちて死ななければ…」イエスさまが歩まれた十字架の苦難を心に覚えたいと思います。今日は進級式と任命式を行いました。教会全体で、中学へ進学する子どもたちと新しく役員&執事に任命された方々の働きと祝福を覚えてお祈りしました。
『十字架上のイエスのことば』(ヨハネ19:17-30)メッセージ要約
「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了した』と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。」
ローマ兵はイエスの身柄を受け取ると、すぐに十字架を背負わせて処刑場に歩かせました。処刑場につくと、彼らはイエスの両手両足を釘で打ち付け、両側の囚人に挟まれるような形で十字架につけたのです。イエスは、筆舌に尽くしがたい肉体的な苦痛に加えて、神に見捨てられるという精神的、霊的な苦痛を耐え忍ばれました。その中で、主イエスは七つの言葉を語られたと言われます。そして、ヨハネはその内の「女の方、そこに、あなたの息子がいます」「わたしは渇く」「完了した」の三つの言葉に注目したのです。まず最初の言葉は、息子の死を見つめる哀れな母を気遣う言葉でもありますが、それ以上に、イエスは十字架のもとに新たな霊的関係が生まれたことを示されたのです。また、次の言葉は、単にのどの渇きから発したというよりも、人間の受ける苦悩、父から賜った十字架という杯を余すところなく飲みたいという従順を、ここに表されたのです。そして、最後の言葉は、未達成で人生の最後の瞬間が来たという断末魔の叫びではなく、旧約の預言を全て成就して贖いの業を成し遂げたという利の叫びだったのです。私たちもまた、イエスさまが十字架上で、何を、どのように完了されたのかを理解しているでしょうか。その一つ一つの言葉の重みを感じながら、喜びのイースターを待ち望もうではありませんか。