今日は礼拝後に2017年度スペシャルグレイスタイム(教会総会)を行いました。多くの方が出席してくださって、昨年度の恵みを振り返り、新年度に向けて新たなビジョンを確認しました。教会としては23年目の歩みとなります。私たちの救いのために十字架への道を歩まれたイエスさまに信頼して一歩ずつ進んでいきたいものです。
『十字架への道』(メッセージの要約)ヨハネ18:1-11
「イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、『だれを捜すのか』と彼に言われた。」
人生には、誰かが責任を取らなければならないという場面があります。でも、都合の悪いことは、つい他人のせいにしてしまいたくなるものかもしれません。思えば、イエスさまはそうした私たちの罪の責任を負うために自ら十字架への道を歩んでくださいました。
イエスさまは十字架にかかる前、最後の食事をとった後、弟子たちを連れてゲッセマネの園に行かれました。そこへイスカリオテ・ユダが大勢の兵士を連れてきて、イエスさまを捕えて連れ去ってしまったのです。イエスさまはその場で「それはわたしです」と繰り返し告げられました。そのお姿から、次の3つのことを心に留めたいと思います。第一に自分からその身をゆだねられたことです。兵士の数や力に関係なく、イエスさまはご自分から捕らえられたのです。また、私たちのために犠牲となられたことです。イエスさまは捕らえつつも弟子たちの身を案じておられました。最後は、父なる神の御心に従われたことです。イエスさまはそれらのことが起こるのをすべてご存知の上で、十字架への道を歩まれたのです。十字架なくして復活なし。私たちもまた、自分の目には最悪と思われる出来事でも、神の目には最善に向かって歩み始めていることもあるのです。