この教会で初めてメッセージの奉仕をさせていただいてから丸11年が経ちました。あのころに比べると確実に体力も落ち、最近は老眼と肩こりに少々悩まされています。主の憐みと教会員の愛に支えられてなんとか歩ませていただいるという感じです。今週はナアマンの記事から、あらめて従順の大切さを覚えて歩もうと思います。
『従順の報い』Ⅱ列王記5:1-15(メッセージ要約)
「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。」
人生には自分ではどうにもならないことがあります。「生老病死」とも言いますが、こうした免れない問題にどう向き合えばいいのでしょう。列王記のナアマンは社会的な立場もあり、人からの尊敬も受けていましたが、「ツァラアト」という病に冒されていました。でも、ある若い女奴隷の言葉でイスラエルにエリシャという預言者がいることを知り、彼の家を訪ねました。「ヨルダン川で七たび身を浸せ」というエリシャの言葉に、はじめは高慢な態度を見せていたナアマンでしたが、しもべたちの進言で心を変え、従順に従ったところ病は癒されたのです。彼の記事から、主の選び、苦難の意味、へりくだる大切さを教えられます。ヤコブ1:21。どうにもならない現実の中でこそ、人は神と出会い、救いの道を見出していきます。主は私たち一人一人にも従順の報いへと招いているのです。