キリスト教の葬儀式について

祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。

(伝道者の書7:2)

新改訳聖書©新改訳聖書刊行会


人はみな、一年一年歳を重ねていきます。そして、やがて必ず死を迎えられます。クリスチャン人口が1%にも満たない日本では、キリスト教の葬儀についてご存知ない方が多いようです。キリスト教の葬儀には神の慰めと天国での再会の希望があります。聖書的な教えに基づき、召天式から葬儀全般、納骨式にいたるまでご説明いたします。教会員でない方、また、洗礼を受けていない方も一度ご相談ください。

 

 聖書では、お祝いの家に行くよりも、葬儀や喪中の家に行く方が良いと教えています。それは自分の人生の終わりについて考えるからです。すでにご家族を見送られているご家族には、天国のご家族を偲ぶ記念会を行っています。聖書の御言葉から、主の慰めと再会の希望を受け取りましょう。

 

🔳仏式の葬儀・法事について

 クリスチャンとして、仏式の葬儀や法事に行った場合に、どのようにしたらいいか、多くの人が悩むところです。どのように対処するかは、それらの本来の意味などを知り、事前に心得ておくことが大事です。

 

・「忌明け」

 古代インドでは、人が死んで次の生を受けるときまでを四十九日間であるとされていました。これがやがて仏教にも取り入れられ、中陰または忠勇と言われるようになりました。これが原罪の四十九日の由来です。

 日本では、死者の霊が不安定な状態(アラミタマ)の期間が、この四十九日間に適応されました。すなわち、四十九日を「忌明け」と言い、この時に納骨するのが一般的です。

 

・「戒名」

 戒名は本来、出家した人に授けられる名前です。出家をして修行者となるということは、戒律を受けることで、その戒律を守りながら修行をするのです。ですから、出家をすると戒律を受けたという意味で戒名をもらうのです。従って、死者に戒名を授けることは、出家をさせるということです。生前はいろいろ忙しくて仏道修業はできなかったが、死んでから「あの世」で修行するということです。

 しかし、死者がひとりで修業をするより、やはり応援があった方がいいでしょう。年忌ごとに法事をするのは、この応援をすることです。法事を追善供養または追善回向などと言います。

 

・「焼香」

 クリスチャンとして最も多く質問されるのは、法事や仏式の葬儀に出た時の「焼香」でしょう。焼香の由来は、インドにあります。インドのような暑い国では、体臭が多く発散してしまいます。従って、高貴な人の前では,良い香りのする香を焚いて体臭を消すことが礼儀であり、相手を敬うこととされていたようです。これが仏教に取り入れられ、仏の前で香を焚いて、仏を供養するという形になりました。

 つまり、焼香は煙に意味があるのではなく、その香りに意味があります。しかし今では、香りではなく煙さえ出ればよいというようになっています。

 クリスチャンが焼香をするというのは、仏を敬うことにつながるので、偶像礼拝であると言わざるを得ず、避けることを考えるべきでしょう。最も良いと思われる方法は、法事や葬式に出る際に、施主などの中心的な人に、自分はクリスチャンであるから、キリスト教式にお祈りさせてほしい、そのためにお焼香はしないので了承してほしいと伝えておくのがいいでしょう。

 

・「数珠」

 数珠は念珠とも言います。本来は、念仏や密教の真言(呪文)を唱えたりする際、その数を数える道具です。例えば、天台宗の数珠は、一回り百八の珠がついています。百八とは、人間の煩悩の数を象徴すると言われています。

 つまり数珠を持っているということは、「私は仏教徒で、修行をしています」ということを公にしているのと同じです。葬式や法事などで、ブレスレッドのように簡略化された数珠をよく持ちますが、クリスチャンは持つべきではないでしょう。


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