2025/04/15
「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言います」ペテロにとっては不名誉な記述かもしれません。でも、彼は誰かに福音を語る度にこの経験を語ったのではないでしょうか。そして、イエスさまはこんな自分をも見捨てないで、用いてくださったと。伝道とは美談や成功例を数え上げることではありません。私たちの人生にイエスさまがどのように出会ってくださったのかを証言することです。
2025/04/14
4月第二主日、今日は受難週、創立31周年記念礼拝を献げました。礼拝メッセージはルカ22:31ー34。イエスさまは十字架にかかる前夜、弟子たちと最後の食事を取り、ご自分の死の意味について話されました。そんな中で弟子たちは、自分たちの中で誰が一番偉いのだろうかと議論していたのです。そんな事態を全く理解していない弟子たちに、イエスさまはサタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、神に聞き届けたことを告げられました。イエスさまは驚く弟子たちを慈しむように、「しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と言われたのです。ペテロは生涯、この時のイエスさまのことばを忘れることはなかったでしょう。イエスさまは今も生きておられ、私たち一人一人のためにとりなし祈っていてくださいます。この祈りに支えられて、それぞれの新しい年度が始まり、教会も31周年を歩み出していきます。今日も外は小雨の一日でしたが、教会の中は温かな食事の交わりと、新しい方々も来られて、賛美と恵みにあふれる一日となりました。
2025/04/11
「イスカリオテと呼ばれるユダにサタンが入った。」神が自分の器を捜しているように、サタンもまたそれを捜しています。人は善の器になるか、悪魔の器になるか、このいずれかです。確かなことはユダが門戸を開かなければ、サタンとてユダの中に入ることはできなかったこと。人の心の扉には外から開ける把手はついていません。「わたしは戸の外に立って叩いている」私たちの心に神を迎え入れましょう。
2025/04/09
4月第二水曜祈祷会、ルカ21章1ー19節。イエスさまは金持ちたちがあり余る中から献げたことと貧しいやもめが生きる手立てのすべてを献げたことの違いから、神は心を見られることを教えられました。また、終わりの前兆についても、偽キリストの出現、戦争や暴動、国家間の争い、大地震、飢饉、疫病、天変地異、そして厳しい迫害が起こることを教えられました。形式的、表面的な信仰生活より、神を心から信頼して生きることを望んでおられるのです。
2025/04/07
4月第一主日、昨夜の雨も上がり、うららかな春の一日となりました。新年度最初の礼拝メッセージはルカ20章、十字架の死を前にしたイエスさまが最後に語られた譬え話しから。ある人がぶどう園を農夫たちに貸して長旅に出たという話し。ある人とは父なる神を、ぶどう園はイスラエルを、農夫は指導者たち、長旅は終末が遅くなることを暗示しています。収穫の時になり、主人は農夫たちのところにしもべを送りましたが、農夫たちは彼を辱しめて空手で帰らせました。主人はそれでも忍耐深く、二人目、三人目のしもべを遣わしますが、農夫たちはさらに痛めつけて空手で帰らせてしまったのです。困った主人は最後に自分の愛する息子を送り、この子ならきっと敬ってくれるだろうと期待しましたが、農夫たちはその子を殺してしまったというのです。ご自分の死を譬えをもって予告されるイエスさまの思いはどんなだったでしょう。「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。」私たちも、人生における捨石と要石の選択を間違えないようにしたいものです。でも、かつての捨石のように思った経験が、今は人生の要石のように思うこともあるのではないでしょうか。
2025/04/02
4月第一水曜祈祷会、ルカ19章から。イエスさまと取税人のかしらだったザアカイの出会いの記述。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日あなたの家に泊まることにしているから。」イエスさまに自分の名前を呼ばれ、家に来てくださると聞いて、ザアカイはどんなに嬉しかったでしょう。イエスさまの愛にふれて、ザアカイは生まれ変わりました。このザアカイを見つめるイエスさまのまなざしが、私たちにも注がれていることを感謝いたします。
2025/04/01
大阪みどりの百選にも選ばれている『箕面さくら並木通り』も満開の時期を迎えました。一般に冬が寒ければ寒いほど、桜は色鮮やかなピンクの花をつけるそうですが、私たちの信仰生活にも通じるものがあるように思います。早いもので今日から4月です。今年もキリスト教葬儀社ライフワークスの新年度礼拝に招いて頂き、野田社長の愛唱聖句でもあるⅠテサロニケ5:16~18から『信仰の喜・祈・感をもって』と題してメッセージをさせて頂きました。ビジネスの格言に、健全な危機感が優れた創意を生むと言いますが、それは信仰生活においても大事なことです。自分の信仰生活は今のままでいいのか、世に流されていないか、自分本位になっていないかなど時に自分の現在地を確認したいものです。私たちは日ごろ、意識しないとなかなか喜びや感謝が見出せず、逆に不満や愚痴は意識せずとも自然と出てくるのではないでしょうか。それだけに信仰の喜祈感は私たちの心に新鮮な感動を与えると同時に、信仰生活の原点を思い出させてくれるように思います。「だから、どこから落ちたのかを思い起こし、悔い改めて始めの行いをしなさい。」野田社長の著書もお勧めします。
2025/03/31
3月第五主日礼拝、大阪も桜の開花が始まりました。礼拝メッセージはルカ18:1ー14から。イエさまが弟子たちをみもとに呼んで、祈りについて教えられたところから。一つは弟子たちに向けて語られた『不正な裁判官とやもめの話し』、もう一方はパリサイ人たちに向けて語られた『自分を正しいとする者と取税人の話し』です。どちらもたとえ話しなのですが、当時よく見かける光景でもあったようです。イエスさまの教えは単純です。それこそ子どもでもよくわかる話し。それだけにサーッと読み過ごしてしまいそうですが、よく味わって読めば実に深い内容です。祈りとは何か、神はどのような祈りを望んでいるのか。失望しないで祈りなさい、ただ神の憐れみを求めて祈りなさい。わたしは聞いているから。わたしのことばは時至って必ず成るから。地上の最終地点であるエルサレムも近づいてきて、イエスさまの地上の歩みも残りわずかとなってくる中での遺言のように大切な教えでした。私たちも春は別れと出会いの時期、桜も花もきれいな時期ですが、子どもも大人もなんとなく欝々しがちな時期です。だからこそ祈りを通して、主との交わりを深める時期にしたいものです。
2025/03/30
貝塚の少年自然の家でチャレンジャーキャンプがありました。中高生のキャンパー・スタッフあわせて70名ほどが参加し、Where are you ?をテーマに奥山師がメッセージを語ってくださいました。私はカウンセラーの奉仕で参加し恵みもいっぱいありましたが、少々疲れました…。何とか無事に終わって感謝です。
2025/03/27
3月第四水曜祈祷会、ルカ16章1~13節。主イエスの譬え話しの中でも特に難解と言われるところ。ある管理人が主人の財産を無駄遣いしていることが発覚し、会計の報告を出すように命じられます。そこで彼は仕事を解雇された時、債務者たちに助けてもらえるように、不正の富で友をつくりました。主人はこの不正な管理人の賢い行動をほめられたのです。小事に忠は大事に忠なり。合点がいくと実に深い話しでした。詳細はこちらの動画をご視聴ください。

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