2024/07/27
教会のデボーションは詩篇56篇から。「心に恐れを覚える日 私はあなたに信頼します」『恐れを覚える日』とは、自分の力が及ばない問題を前にした時のことを指します。ダビデはサウル王に謂れのない迫害を受け、いのちの危険を感じる中で、敵国ペリシテ人の地に身を委ねなければならないほど追い詰められていました。そんな非常な恐れと危険の中でも、ダビデは繰り返し神への信頼を告白し、みことばをほめたたえたのです。順風満帆の日に神をほめたたえるのは容易なことです。でも、苦難の日にこそ、その人の信仰が本物かどうかが問われるのです。「どうか私の涙を あなたの皮袋に蓄えてください。」旅人が一滴の水であっても皮袋に大事に取っておくように、神がダビデの涙を蒸発しないように保存してくださいますように…との願いです。『蓄えてください』という願いは将来の希望が神にあることを示しています。神は涙を喜びの水、祝いの酒に変えてくださる。神は信仰者の涙を決して見過されないし、信仰者はその涙を神の皮袋に託してしまうので、苦難の中でも賛美が出てくるというのです。そして、神に賛美をささげる時、敵は退き、災いは去るのです。
2024/07/25
教会でご家族での葬儀式がありました。86歳の時に洗礼を受けられ、私たちの教会には3年ほど通ってくださいました。聖書基礎を学ぶ会にも参加してくださり、難しいですね…と言いつつも、十数回の学びを最後までお付き合いいただきました。私も84歳の未信者の母親がいますが、先輩の方々がお感じになることなど率直にアドバイスしていただき助かりました。礼拝では開始時間前から姿勢を正し、聖書のメッセージに真摯に向き合ってくださり、その姿は周りの方々にもよき模範になられていたと思います。20代で起業し、ずっと一線でご活躍なされてきた方ですが、決して偉ぶらず、誰に対しても謙遜に受け答えされていたのが印象的でした。以前、愛唱聖句はマタイ11:28と教えていただきました。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」数日前に病室にお見舞いに行かせていただいた時もクリスチャンであることの幸いを分かち合わせていただききました。今日のご葬儀も愛するご家族へのよきお証しになられたことでしょう。ご遺族の上に、主の慰めと平安がありますようにお祈りいたします。
2024/07/22
7月第三主日、夏本番を迎え、今日も暑い一日となりました。礼拝メッセージは詩篇23篇から。イスラエルの王だったダビデは晩年、自らの人生を振り返って「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」と歌いました。幼いころから羊飼いの仕事を手伝っていたダビデは、羊が羊飼いがいなければ生きていけないこと、羊飼いがいればすべての必要が満たされることをよく知っていました。「たとえ死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。」2001年9月11日アメリカ同時多発テロが発生し、世界貿易センタービル、ペンタゴンに次々と旅客機が激突し、悪夢のように建物が壊され大勢の方が亡くなってく中、もう一機がホワイトハウスを標的に飛行していました。でも、そんな犯人たちの計画は、勇敢な乗客たちによって阻まれ、旅客機はピッツバーグ郊外の野原に墜落しました。操縦席に突入する際、勇敢な乗客たちが口にしたのが詩篇23篇だったそうです。人生には時に、思わぬ試練に襲われることがあります。最悪と思われる状況の中にも、たった一つの消えない希望がある。それが神がともにおられるということです。
2024/07/20
教会のデボーションはⅠサムエル26章から。サウルがダビデの誠実さを知って赦そうと思ったのもつかの間…再び三千人の精鋭部隊とともにダビデ暗殺に動き出します。今回はダビデの方からサウルのもとに偵察に行き、これまた千歳一隅の機会が巡ってきますが、ダビデはサウルに手をかけませんでした。サウルの「私が間違っていた…」という言葉など、もはや誰も信じません。そんなダビデを支えたのは「主は私の羊飼い」という信仰だったのでしょう。
2024/07/19
ハートフル英会話春期コースが終了しました。今期も無事守られて感謝でした。レイチェル先生は少し早い夏休みで、スコットランドに旅行中。代わりにアルメニア人のリアンナ先生が来てくれました。聡明で美しい妻で、まさにアビガイルのような女性でした。Ⅰサムエル25章の彼女の言葉で、ダビデは復讐心から解放され、彼女と会わせてくださった神をほめたたえました。人生は出会いで決まる。一つ一つの出会いを感謝して、主をほめたたえましょう。
2024/07/17
7月第三水曜祈祷会、Ⅰサムエル記25章から。カルメルで事業をしていて、非常に裕福になったナバルとその妻アビガイルの人物紹介から始まります。妻アビガイルは賢明で美しい女性、夫ナバルはその名の通り頑迷で行状が悪かったとのこと。そんなナバルのもとにダビデは十人の若者を遣わし、礼の限りを尽くして、警護のお礼としての幾ばくかの贈り物を求めました。主人サウルから逃げながら、600人の兵を養うのは大変だったでしょう。ナバルの裕福さからすれば、当然いい返事をもらえるだろうと思っていたところ、「ダビデとは何者だ」と全く相手にされませんでした。それにプライドを傷つけられたのか、ダビデは怒り心頭でナバルの全家を滅ぼすと宣言し、400人の兵とともに出兵。ナバルも誰の声にも耳を貸さず、もはや流血は避けられないという事態に。そこでこの危機を救ったのが賢明な妻アビガイルでした。彼女は勇敢にもダビデの前にひれ伏して「ご主人様、あの責めは私にあります」と当事者意識を持ち、さらにダビデの信仰心に強く訴えました。そして見事にダビデの怒りを諫め、事態を収拾したのです。「賢明な妻は主からのもの。」(箴言19:14)
2024/07/15
7月第二主日、少し湿度は高めでしたが、穏やかな週の始まりを感謝します。今日の礼拝では昨年受洗された兄弟(教会ではお互いを兄弟姉妹と呼びます)が特別賛美をしてくださいました。お話しは苦手なので…ということでしたが、賛美を通して十分に主の恵みを証ししてくださいました。礼拝メッセージは詩篇32篇から。イスラエル二代目王のダビデには大きな過ちを犯した過去がありました。自分の部下であるウリヤの妻バテ・シェバと関係を持ち、さらに彼女の妊娠がわかるとウリヤを戦死に見せかけて殺してしまったのです。普通の倫理観からすれば到底許されない言語道断のことですが、今から3000年前のイスラエル王のことですから想像の域を出ません。ただ…信仰者であるダビデは当然律法が姦淫と殺人についてどう教えているかを知っていたはずですから弁解の余地なしだったでしょう。預言者ナタンに糾弾されて、赦されるはずがない罪を抱えてもがき苦しだ様子が描写されています。そして、ついに罪を告白した時、神の赦しを体験していったのです。「幸いなことよ。その背きを赦され 罪をおおわれた人は。」詳しくは礼拝メッセージをご視聴ください。
2024/07/13
夏の代表的な花と言えば、ひまわりですが、明日は『ひまわりの日』です。1977年7月14日に日本初の静止気象衛星『ひまわり1号』が打ち上げられたことに由来します。ちなみに『ひまわり』という名前は、植物のひまわりが常に太陽の方向を向いているように、気象衛星も常に地球を見続けていることから名づけられたそうです。ひまわりの花言葉の一つに『あなただけを見つめる』というのがありますが、私たちの信仰もかくありたいと思いました。
2024/07/11
教会は敷居が高い…とある方が仰っていましたが、本来は『不義理や面目のないことがあって、その人の家へ行きにくい』という意味の言葉。お愛想で仰っられたのかもしれませんが、お上品で敬虔な信者が集う所と思っている方は少ないのではないでしょうか。クリスチャンになる前の自分は、一度入ったら強引に勧誘されてただでは帰れない所…と思っていましたが、それも昔のことでしょう。そもそも教会はバリアフリーですので、敷居もありません💦
2024/07/11
7月第二水曜祈祷会、曇りのち雨の湿度の高い一日でした。デボーションはⅠサムエル記19章から。連戦連勝で一躍人々の脚光を浴びるダビデを、サウルはついに殺害すると公に宣言しました。最初は小さな嫉妬心から「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」という人々の声を聞いて憎しみが湧き、やがて殺意へと変わっていったのです。理解に苦しむのはダビデでした。どうしてサウルが自分の命を狙うのか…わからない。そこへヨナタンが間に立ち、ダビデを弁護し、サウルを説得します。サウルもそれを聞いて一時は殺意を鎮めますが、すぐに心の中で抑えきれなくなり、ダビデ暗殺計画を実行したのです。でも、そこでも妻ミカルが機転を働かせて、ダビデの命を救いました。ダビデはサムエルのもとに逃げ込んで、これまでのことを全部打ち明けました。サムエルは自分が油を注いだダビデのために祈ったでしょう。すると、神の霊がサウルたちの追手を恍惚状態にして、ダビデは難を逃れ、暗殺計画は失敗に終わったのです。まるでスパイ映画を見ているような間一髪の大脱出劇でした。私たちも自分では気づかいところで神が守ってくださっていることを覚えました。

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