2024/11/23
イザヤ51章から。「まことに、主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。」それは絶望に淵に立つイスラエルにとって、単なる気休めなどではない、現状の変革を促し、憂いを喜びに、絶望を希望に変えるメッセージです。この時代も、国内外ともに波乱に富んだ時代、神を神としてあがめることのない社会です。それでも、イエスさまはあなたを慰めて、救いへと招いておられるのです。
2024/11/22
今日はイギリスの作家C.S.ルイスの召天日。彼の著書『痛みの問題』にはこうあります。「神は楽しみにおいて私たちに囁きかけ、良心において語る。でも、苦痛においては私たちに向かって激しく呼びかけたもうのである。苦痛は耳を塞いだ世界を呼び覚まそうとしたもう神のメガホンである。」私たちは平時よりも苦難の中でこそ神を体験するように思います。「主はご自分の民を慰め、その苦しむ者を憐れまれるからだ。」今日も英会話クラスから楽しい声が聞こえてきました。
2024/11/21
11月第三水曜祈祷会、イザヤ書48章を読みました。「あなたが頑なであり、首筋は鉄の腱、額は青銅だと知っているので。」いくら呼びかけても聞く耳を持たない南ユダの民ですが、神は忍耐をもって救いの道を指し示します。どんなに背を向けても「わたしはあなたの神、主である」と宣言されるのです。ご自分の民を憐れむ万軍の主の熱心を覚えました。午後からは友人のヒトリコテンに行ってきました。今回も優しい絵に心が和みました。お勧めします。
2024/11/19
11月の旧約聖書を学ぶ会がありました。出席者は少なめですが、その分ゆっくりな分かち合いもできて感謝です。出エジプト記12章、エジプトに第十の災禍が下されようとしていました。ここまで頑なな姿勢を貫いてきたファラオも、さすがに「…出て行ってくれ」と言わざるを得ない状況が迫っていました。イスラエルの民も神がどんな御業を起こされるのか、皆目見当がつかなかったでしょう。430年間もエジプトで奴隷状態に置かれていた民に自由が与えられる…信じ難いことだったはずです。そうした中で主は、過越の祭りの制度を定められました。「異国人はだれもこれにあずかってはならない。しかし…割礼を施せば、これにあずかることができる。」過越の祭りは、傷のない子羊を屠り、その血を門柱と鴨居に塗って、種なしパンを食べる儀式です。主は、この日は神の民にとって忘れられない記念となり、永遠の掟としてこれを祝わなければならないと言われたのです。今日のクリスチャンはイエスさまが言われた通り『聖餐式』として十字架を心に覚えます。聖書を知らない人から見れば単なるパンとぶどう酒ですが、クリスチャンにとっては極めて厳粛な儀式です。
2024/11/18
11月第三主日、秋も深まり紅葉の美しい時期を迎えました。礼拝メッセージはエステル記6ー7章から。ダニエルのような立派な信仰者ではない、等身大のエステルに共感を覚える人も多いのではないでしょうか。エステル記には「神」「主」という言葉は出てきません。また、「祈り」「信仰」という言葉もあえて使っていません。でも、この書には神がこの世を支配し、歴史を導き、人々を動かしていること、また、エステルやモルデカイが祈りと勇気と信仰をもってユダヤ人を救いに至らせることが見事に描かれています。また、ハマンの性質はだれもが持っている罪の性質。モルデカイを陥れるための木に、最後はハマン自身がかけられていくさまには、読者である私たちにも罪の性質を十字架のもとに脱ぎ捨てることを教えているのです。そして、神は私たちと個人的に交わりを持ってくださると同時に、私たちをご自身の計画の中で用いてくださいます。私たちが苦しんだり、悩んだり、傷ついたりするのは、私たち個人の問題なのではありません。私たちがその戦いの中で慰められたり、励まされたり、立ち直ったりするのは、ほかの兄弟たちの救いにも繋がっていくのです。
2024/11/15
「あなたを造り、あなたを母の胎内にいるときから形造り、あなたを助ける主はこう言う。」聖書は、自然淘汰説に基づく進化論ではなく、三位一体の神の御手による創造論を告げています。すべてが偶然の中で進化していったものなら、人はなぜ生きているのか、なぜ生まれてきたのかを考える必要はないでしょう。でも、どうしても考えてしまう、それが人間が目的をもって造られた証拠です。神は今も、私たちを助けたいと思って呼びかけているのです。
2024/11/14
11月第二水曜祈祷会、イザヤ書43章を読みました。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」多くの方に愛されるこの聖句ですが、あらためてだれがだれに向かって言っているのかを考えると、その言葉の深淵さに圧倒される思いです。神が呼びかけておられるのは、聞く耳をもたない神に敵対してきた者たちでした。イエスさまも放蕩息子の帰りを待つ父の譬えをされましたが、まさにこの神の愛の深さを教えられたのです。
2024/11/13
「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともなく」教会に祈りのリクエストを送ってくださる方を覚えてお祈りしています。特にインフルエンザが流行っているようで、重症化されている方もいます。主の癒しと慰めがありますように。イエスさまは傷ついている方や心が折れかかっている方に憐み深い方です。元気な時はそれほど必要と思わなくても、弱さを覚えている方のために、イエスさまのとりなしの祈りの御声が聞こえてきますように。
2024/11/11
11月第二主日、抜けるような青空のもと今日も日曜礼拝が献げられました。小学校の教員になられて28年、現在は校長先生をされている方がお証しをしてくださいました。不遇な幼少期を過ごされる中で、ある先生の言葉に励まされ、ご自身も教師を目指し、大変な努力をして見事教員試験に合格。その後もまさに天職とも言える充実した教師人生。ところが、突然の病…。フルマラソンを18回も完走している体力の持ち主にも拘らず、入院、休職…と先の見えない苦難を余儀なくされました。でも、愛するご家族に支えられ、友人に支えられ、教会の多くの方の祈りに支えられ、兄弟の笑顔が戻ってきました。今回の証しは、どうしてもご本人の口から復活報告を聞きたくてお願いしました。今日はその方の54歳の誕生日。素晴らしいお証しに主の御名をあがめました。礼拝メッセージはエステル記5章から。エステルもまた、自らの使命に堅く立ち、大事な場面で神の栄光を仰ぐ秘訣を心得ていました。今日は児童祝福式もあり、子どもたちもそのまま大人と一緒に礼拝に参加。最後まで静かにノートを取る姿勢に感動しました。午後は囲碁将棋クラス、夕礼拝も祝され感謝します。
2024/11/07
教会のデボーションはイザヤ38章から。ヒゼキヤは病気になって死にかかっていましたが、主は彼の祈りに答えて「あなたの寿命にもう十五年を加える」と告げられました。人生のアディショナルタイムをどう生きるかを思いました。今週は月曜日は知人が出演するミュージカル『ナルニア王国物語』を鑑賞に、火曜日は牧師会がありました。昨日の祈祷会でもよい交わりが与えられたことを感謝いたします。